PQC移行とは?文系初心者向けに分かりやすく解説

いま、セキュリティ分野で注目されているキーワードが「PQC移行(Post-Quantum Cryptography 移行)」です。 量子コンピューターの開発が進むと、これまで私たちの通信や金融取引を守ってきた暗号技術が一気に「解読可能」になってしまうリスクがあります。

この記事では、「PQC移行とは何か」から「量子コンピューターがもたらす影響」そして「なぜ必要とされているのか」を、誰でも理解しやすい形で解説します。専門知識がなくても「なぜPQCが必要なのか」が理解できる内容になっていますので、ぜひ最後までご覧ください。

PQC移行とは何か?

量子コンピューターの登場は、これまで安全とされてきた暗号の仕組みに大きな変化をもたらす可能性があります。従来のRSAや楕円曲線暗号(ECC)は、量子計算のアルゴリズムによって短時間で解読されるリスクが指摘されています。

この課題を解決する新しいアプローチが PQC(Post-Quantum Cryptography:耐量子計算暗号) です。PQCとは、量子コンピューターが普及した後でも安全性を維持できる新しい暗号技術の総称を指します。

将来的には インターネット通信・銀行のオンライン取引・クラウドサービス・政府や自治体の基幹システム など、社会のあらゆる場面で導入されることが見込まれています。

量子コンピューターとは?

PQC移行を理解するうえで、欠かせない量子コンピューターについて下記の3点に分けて解説します。

  1. 従来型コンピューターとの違い
  2. 量子コンピューターがもたらす変化
  3. なぜ暗号分野が特に注目されるのか

順番にみていきましょう。

従来型コンピューターとの違い

従来のコンピューターは「0」か「1」のどちらかを表すビットを使って計算します。これに対し、量子コンピューターは量子力学の性質を利用し、「0と1が同時に存在する状態(量子重ね合わせ)」 を扱える「量子ビット(qubit)」を使います。
この仕組みにより、従来型が順番に処理するのに対して、量子コンピューターは膨大な組み合わせを同時並行で処理できるという強みがあります。


量子コンピューターがもたらす変化

量子コンピューターは万能ではありませんが、特定の分野で従来のコンピューターを大きく超える可能性があります。今回は産業の世界暗号の世界に起こる変化を見ていきましょう。

産業の世界

  • 製薬や材料開発では、分子のシミュレーションが飛躍的に高速化され、新薬の発見や新素材の開発が短期間で進む可能性があります。
  • 物流や金融では、複雑な最適化計算を高速に処理できるため、効率化とコスト削減につながります

暗号の世界

現在、RSAやECCなど、インターネットの安全を支える暗号は「計算に時間がかかる」ことを前提にしています。

ですが、量子コンピューターでは「ショアのアルゴリズム」を使うことで、従来比で桁違いに短縮し得ると予測されています。

その結果、オンラインバンキング、電子商取引、行政の電子証明など、社会インフラの根幹が危険にさらされることになります。

それらの対策として、PQC移行が必要になるとされています。


なぜ暗号分野が特に注目されるのか

上記の変化からもわかるように、産業応用は「便利になる」というポジティブな変化ですが、暗号分野は「今のままだと一気に崩壊する」というリスクを抱えています。
もし量子コンピューターが実用化されれば、過去に暗号化された膨大なデータが解読される可能性があるため、未来に備えて暗号を耐量子型に切り替える(PQC移行)必要があるのです。


上記の3点からわかるように、量子コンピューターは産業界に大きな進歩をもたらす一方で、暗号の世界においては深刻なリスクを引き起こします。そのため、将来の脅威に備えた「PQC移行」が、今後の社会基盤を守るための最重要課題となっています。

なぜPQC移行が必要なのか?

PQCへの移行が必要とされる背景には、以下の3つの理由があります。

  1. 量子コンピューターが既存の暗号を破るリスク
  2. 「今すぐ解読できなくても危ない」という現実
  3. 政府・企業による早期移行の動き

順にみていきましょう。

量子コンピューターが既存の暗号を破るリスク

現在広く使われているRSAや楕円曲線暗号(ECC)は、「大きな数を素因数分解する」などの計算が困難であることを前提に安全性が成り立っています。
しかし、量子コンピューターが実用化されると、これらの問題は「ショアのアルゴリズム」により短時間で解けるようになり、インターネット通信や銀行取引が一気に解読されてしまう可能性があります


「今すぐ解読できなくても危ない」という現実

特に懸念されているのが 「HNDL(Harvest Now, Decrypt Later)」 という攻撃です。これは、今の通信データを保存しておき、将来量子コンピューターが実用化されたときにまとめて解読するという手法です。つまり、「まだ解読されていないから安心」ではなく、今やり取りしている機密情報が数年後に漏洩する危険があり、“量子実用化前”から移行準備が求められます。


政府・企業による早期移行の動き

米国NISTが2024年8月に公開しFIPS 203(ML-KEM)/FIPS 204(ML-DSA)/FIPS 205(SPHINCS+)は、量子耐性を備えた新標準です。2025年3月にはHQCが追加選定され、実装ガイドは段階的に整備が進んでいます。

日本では、NICTと凸版印刷が共同で CRYSTALS-Dilithium を搭載したPQC対応スマートカード「PQC CARD®」 の開発・実証を2022年に行うなど、具体的な取り組みが進んでいます。さらに、日本政府は 2025年から2030年にかけて、量子暗号技術の研究・開発を公共・民間と連携して進める計画を掲げています 。

参考出典


上記の3点からわかるように、PQC移行は「まだ先の話」ではなく、量子コンピューターが実用化される前から準備しなければならない課題です。現在の暗号が破られるリスクは時間の問題であり、国際的にも対策が急がれています。いまの時点から理解を深めておくことが、将来の安全性を確保する第一歩といえます。

通信とPQC移行の関係

PQC移行は単なるセキュリティ技術の更新ではなく、インターネット通信そのものに深く関わるテーマです。理由は以下の3つです。

1.通信の暗号化は社会インフラの基盤

私たちが日常的に使うメール、メッセージアプリ、オンライン会議、クラウドサービスはすべて暗号通信によって守られています。これらが量子コンピューターに破られれば、盗聴やなりすましのリスクが一気に高まります


2.HNDLと通信データ

保存された通信ログやクラウド上のデータは、未来の量子攻撃によって解読される可能性があります。特に企業間通信や行政文書は、10年・20年先でも価値を持ち続けるため、今の時点でPQCに対応することが必要です。


3.通信事業者の役割

通信キャリアやクラウド事業者は、インターネット全体の安全を守る「入り口」として、いち早くPQC対応を進める責任があります。すでに欧米ではISPやクラウドベンダーが試験導入を始めており、日本でも同様の流れが加速する見込みです。


このように、PQC移行はセキュリティ対策にとどまらず、「安全な通信」を未来に引き継ぐための大前提といえます。

PQCの主な種類

現在、NIST(米国標準技術研究所)を中心に標準化が進められているPQCには、いくつかの方式があります。今回はそれぞれの特徴長所課題用途の4点に分けて説明していきます。

格子暗号(Lattice-based cryptography)

複雑な「格子構造」と呼ばれる数学的な図形の中で「最も短いベクトルを見つける」などの問題を基盤にした暗号方式です。この問題は量子コンピューターでも解くのが非常に難しいとされています。

  • 特徴:高速処理が可能で、暗号化や復号にかかる計算コストが比較的低い。
  • 長所:セキュリティと効率のバランスが良く、暗号化だけでなく「完全準同型暗号(FHE)」などの新技術の基盤としても期待されている。
  • 課題:鍵のサイズが大きくなる傾向があり、ストレージや通信の負担が増える可能性がある。
  • 用途:NISTの標準化候補(例:CRYSTALS-KyberCRYSTALS-Dilithium)として最有力視されています。

符号暗号(Code-based cryptography)

誤り訂正符号(通信でノイズが混じったデータを修正するための技術)の数学的性質を利用する方式です。1960年代から研究されており、歴史が長い分、堅牢性の実績があります。

  • 特徴:量子攻撃に対しても安全性が高いと考えられている。
  • 長所:古くから解析され続けているため信頼性がある。
  • 課題:暗号鍵が非常に大きくなるため、実運用では扱いづらいことが多い。
  • 用途:一部の通信システムや研究プロジェクトで採用が検討されている(例:Classic McEliece)。

多変数多項式暗号(Multivariate cryptography)

複数の変数を含む多項式方程式の解を求める問題に基づく暗号です。この問題は量子コンピューターでも効率よく解くことが難しいとされます。

  • 特徴:署名アルゴリズムに特化して使われることが多い。
  • 長所:高速な署名生成が可能で、軽量デバイス(IoT機器など)にも適している。
  • 課題:暗号方式によっては安全性に懸念が指摘されることもある。
  • 用途:特にRainbowなどがNIST候補に挙げられたが、脆弱性が見つかり除外されるなど、研究の進展が早い分、見極めが必要。

ハッシュベース署名(Hash-based signatures)

ハッシュ関数(データを固定長に変換する一方向関数)の性質を利用したデジタル署名方式。構造がシンプルで解析も進んでおり、量子攻撃にも強い。

  • 特徴:理論的に堅牢性が高く、安全性が長く認められている。
  • 長所:シンプルかつセキュアで、長期的に信頼できる方式とされている。
  • 課題:鍵や署名の再利用に制限があり、大規模システムでの運用には工夫が必要。
  • 用途:NISTの標準化プロセスでSPHINCS+が選ばれており、実用化に向けた動きが加速中。

これからの展望

PQC移行は今後10年単位の長期的なテーマですが、すでに国際標準化の枠組みが整い始めています。特に注目されるのは以下の点です。

PQC移行は量子コンピューターの登場を待ってから対応するのでは遅く、いまから備えることが不可欠です。PQC移行は未来のリスクに先回りして安全を確保する「攻めのセキュリティ対策」と言えるでしょう。

企業が次に取るべきアクション

AIやPQCといった新技術に対応する際は、やみくもに導入を進めるのではなく、段階を踏んで整理していくことが重要です。具体的には、現状把握から課題抽出、優先度の整理、そして実行計画の作成へとつなげる流れを意識すると、検討がスムーズに進みます。

  • ①リスクの把握:現状のシステム・データがどこまで量子やAIリスクにさらされるかを棚卸する
  • ②優先度の決定:業務インパクトの大きい領域から順に対応計画を立てる
  • ③移行計画の策定:必要な人材・コスト・期間を含め、実装可能なロードマップを描く
  • ④実装とモニタリング:小さく導入して評価し、段階的にスケールさせる

今回は特に「②優先度の決定」に焦点をあて、企業が判断するために必要なチェック項目を整理しました。

確認項目具体的な内容
業務インパクトもしシステムが停止した場合、売上・顧客対応・社会的信用にどの程度の影響があるか?
データの価値保有する通信ログ・顧客情報・金融取引データは、10年後でも価値を持ち続けるか?
規制・契約要件政府や業界ガイドライン、取引先との契約で暗号強度が指定されていないか?
導入リソース社内に人材・予算・システム連携基盤があり、どの程度早く対応可能か?

これらを点検することで、「どこから着手すべきか」が明確になります。
さらに、自社の現状と課題を整理するだけでも、経営層や現場の共通認識が得られ、次のアクションを検討しやすくなります。

まとめ

本記事では、PQC移行の基本から必要性、代表的な種類、世界の動向、そして今後の展望までを整理しました。ポイントを振り返ると以下の通りです。

量子コンピューターが現実の技術課題を解決する前に、私たちの社会は新しい暗号基盤を準備する必要があります。PQC移行は未来のセキュリティを守るための「いま始めるべき取り組み」なのです。

よくある質問(FAQ)

Q1. PQC移行はいつから始まるのですか?

A. 2025年以降に本格化すると見込まれています。

すでに米国NIST(国立標準技術研究所)による標準化作業が進行中で、2022年には一次候補の選定も発表されました。2025年以降は企業や政府機関が段階的にシステムをPQCに対応させていくと予測されており、移行準備が加速する段階に入ります。


Q2. 量子コンピューターは本当に暗号を破れるのですか?

A. 実用レベルではまだですが、理論的には可能です。

現状の量子コンピューターは研究段階にあり、大規模な暗号解読には至っていません。しかし、量子アルゴリズム(特にショアのアルゴリズム)により、RSAや楕円曲線暗号(ECC)が理論的に解読可能であることが示されています。そのため、早めのPQC移行が推奨されています。


Q3. PQCの中で最も有力なのはどれですか?

A. 格子ベース暗号が最有力とされています。

PQCには複数の方式(格子ベース暗号、符号ベース暗号、多変数多項式暗号など)がありますが、その中でも格子ベース暗号が最も信頼性と効率性のバランスに優れていると評価され、NISTの標準候補としても採択されています。


Q4. 標準化はどの国が主導しているのですか?

A. 米国NISTが中心で、国際的に連携が進められています。

標準化は米国NISTが主導していますが、EUや日本を含む各国の研究機関・大学・企業も連携しており、グローバルな暗号基盤として普及することを目指しています。特定の国だけでなく、国際標準として整備される点が特徴です。


Q5. 一般社会に影響が出るのはいつ頃ですか?

A. 2030年前後から社会基盤に影響が及ぶと予測されています。

金融システムや行政インフラなど、長期利用が前提のシステムは特に影響を受けやすく、2030年前後から順次PQC対応が必要になると考えられています。個人ユーザーにとっても、インターネットや銀行サービスなど身近な領域でのPQC導入が進む見込みです。

通信のエキスパートが、個別でご相談を承ります!
最新情報をチェックしよう!